天津神明宮

あまつしんめいぐう

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神代のむかし、大国主命とともに日本を治めておられた事代主神は天孫に国土を献ってのち、海路はるばる当地においでになり、東方鎮護の神として永くこの地にお鎮まりになったため、人々は宮殿を建て、もうけ明神(えびす様)と尊称したと伝えられています。
その後、鎌倉に武家政治の基を開いた源頼朝公が戦に敗れて安房の地に逃れてきたとき、源家の再興を伊勢の大廟に祈願され、みごと成就されたことにより、天下平定ののち、西暦1184年(寿永3年)、当地に伊勢より神霊を勧請し、もうけ明神とともにお祀りされたのが「房州伊勢の宮」と仰がれる当社であります。
小湊に誕生された日蓮聖人も当社をいたく尊崇されていたことはあまりにも有名な話しで、修行地清澄への道程、必ず当社を参拝されたと言われています。
また、御遺文中にも当社を「日本第二のみくりやや今は日本第一なり」と記され、天照皇大神が当地に鎮座されていることをもって、当地を「辺国なれども、日本国の中心のごとし」とされています。
開宗ののち、妙法弘通を当社に記念され、そのとき奉納されたと伝えられる「川向の御曼陀羅(布本尊)」が神社の宝物として、伝えのこされています。
このように、壮大な由緒をもつ天津神明宮は800年以上の歴史を数え、いまもなお地域のよりどころとして多くの人々に崇敬されています。