厚生労働省によると、平成26年3月末時点で日本のホテル営業施設数は9809軒、旅館営業施設数は4万3363軒、簡易宿所数は2万5560軒。この中で宿坊は多く見ても500軒。しかも高野山(52軒)や善光寺(39軒)など特定の地域に固まり、一軒もない県は多い。私が見る限り、秋田、岩手、宮城、福井、群馬、山口、宮崎、熊本、鹿児島、沖縄には宿坊がない。期間限定や修行施設としての宿をどこまで数えるかにもよるが、残りの半数近い県も1~2軒。日本には宿坊空白地帯が多数ある。この空白地帯を上手(うま)く使えば、様々な課題や社会問題に一石を投じられると考えている。
例えば、日本の観光立国化について。日本は海外から訪れた旅行者の満足度が非常に高いが、東京、京都、大阪、北海道や沖縄と、主要スポットに足を運んだ旅行者がリピーターとなり次に訪ねる場所及び情報が不足している。
ここに寺社に泊まる旅が加われば、大きなインパクトになる。来日した外国人観光客が「最大限に日本を感じ取れる場所に泊まりたい」という欲求を寺社は満たしている。
寺社には文化様式のある建築や日本庭園、精進料理など、大きな魅力が詰まっている。実際、宿坊研究会の英語版サイトには多くの国からアクセスがあり、全国寺社観光協会の「宿坊創生プロジェクト」にも、熱い注目が集まっている。
また、地方の過疎化、都心の過密化緩和にも宿坊は力を発揮する。数が少ないことは紹介したが、これは一軒生まれるだけでも話題になりやすいということだ。観光資源に乏しい町にも宿坊があれば、人は訪れる。秩父の山奥にある大陽寺や、鳥取にある光澤寺はその好例で、開設から数年しか経っていないが、メディアで多数取り上げられ、全国から泊まりにきている。
■寺社の必要性と淘汰(とうた)される寺社の現実
日本はアメリカやフランス、イギリスなどの欧米先進国と比較して、自殺者数はトップを占めている。今後、日本は心の問題にますます踏み込まざるを得ない状況に直面していく。自死・自殺者数が高水準にある中で、追い込まれた人が日常のレールを離れ、経済優先の社会と異なる仏教や神道などの価値観にふれる場は貴重だ。宗教は子育てや食育など教育との相性も良く、禅の精神は世界中で良い影響を与えるとグローバル企業の研修にも取り入れられている。
宗教は元来生き方を伝えるものだが、重いテーマになるほど気軽に寺社に足を運ぶことは難しい。しかし宿坊であれば、旅の宿として開かれた場であることが明白で、外から見た垣根は低くなる。
そして、もうひとつ。これから多数の寺社が姿を消すかもしれないという問題がある。日本にはお寺や神社がそれぞれ約8万ずつあるが、人口の減少によって支える人間が不足してきているのだ。
檀家(だんか)や氏子数の激減、葬儀や祭儀の簡略化、人口移動についていけない特性など、寺社を取り巻く環境は良好とは言えない。新たな柱、活用法を生み出すことが急務だと考えられる。
■宿坊は重厚な歴史や文化に光を当てる
寺社には千年を超える歴史と祈りが積み重なっている。これは日本人の心だ。そうした貴重な財産は大多数を占める無名の寺院の中にこそ隠されている。
観光立国化には二つの道がある。一つは世界の最先端に血肉を注ぐ道。シンガポールやドバイなどは世界の富豪を集め、最先端の技術を結集した建築ラッシュで都市を作る。しかしもう一つの道として、重厚な歴史や文化に光を当てる方策がある。日本は、現存している世界の国々の中で最も古くから続く国であり、他を寄せ付けない最強のアドバンテージを持っている。しかも、世界の最先端技術も多数あるため、最古と最新の両面を併せ持つ。
私がアドバイザーとして就任している全国寺社観光協会の「宿坊創生プロジェクト」は、法律や税制、建築、観光などのノウハウを持つ多分野の専門家と手を組み、日本の伝統や寺社の魅力を伝える宿坊を増やそうと取り組んでいる。今後、観光や地域経済などの観点から日本の寺社の未来像にひとつのモデルを生み出していくだろう。
宿坊はこれまで寺社に培われてきた心を、新たに活用しながら後世につなげる手段となる。ただそのためには、まずは私たちがそこにある良さを見つけ、楽しみ、そして新たな時代に通用する形に磨きあげていくことが必要だ。
宿坊は観光資源としての「宿」である前に、お寺であり、神社でもある。その意味するところを汲み取りながら、世界と深く結びついた時、宿坊は日本全体を変えるほどの強さで輝いていく。「宿坊創生プロジェクト」はそこに向けて、日々取り組んでいる。
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